けんの独り言

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絵手紙講師を始めた訳
2001/03/27

 私が絵手紙講師を始めたのは、一寸した「勢い」というか「大見得」からだった。(^^;
 平成6年7月。私は1枚の辞令に飛ばされ、鹿児島の南薩地方にいた。

 それから半年も過ぎ、南薩の地にも慣れた頃、ある会議で「次回の逓信記念日(4月20日)※には何か変わったことをやろう。」という話題になった。
 私は、軽い気持ちで「今話題の絵手紙教室をやろう。講師は自分が探す。」と提案、満場一致で可決した。

 「前の職場で、私が絵手紙を教えていただいた、海老原先生にお願いすれば、講師は紹介してもらえる」と思っていたのだ。
 早速、海老原先生に電話して、県内に在住の講師の方を紹介して貰うことにした。

 突然の電話にも先生は、私の申し出を快諾してくださり、電話の向こうで何やら名簿を調べておられる様子。しばらくして「残念ながら、近辺には講師は居ないし、自分も行けない。」と仰った。

 「ところで、あなたは私の教室を何回受けましたか?」
 「はあ、3回ほどですが。」
 「それなら、大丈夫よ。あなたが講師をやりなさい。」
 「はあ?私がですか?」
 「そうですよ。分からないことが有れば、私が通信教育で教えてあげるから。」

 思ってもみなかった展開である。今までに描いた絵手紙は、20枚もない。そんな者が、数ヶ月先とは言え、絵手紙の講師をやることが出来るのだろうか?
 でも、皆の前で「私に任せておけ」と大見得を切った以上、今更引っ込める訳には行かない。自分がやるしかないのだ。

 この日を境に私は絵手紙漬けになる。毎日、毎日先生と両親に向けて描いた。何でも描いた。誰にでも出した。そして、絵手紙文通の相手も紹介して貰って描いた。
 描くと返事が来るから、嬉しくて又描く。また、返事が来る。

 実は、こんなに描いたのにも理由がある。
 受講希望者を集めようにも、絵手紙そのものが、余り知られていないので、「絵手紙」とはどんなものなのかを見てもらわねばならない。
 要は、「客寄せ」に展示する絵手紙を集めなければならなかったのだ。

 海老原先生の通信教育も回を重ね、その成果が見られるようになったのと、絵手紙教室の開催はほぼ同時のことだった。

 ※2001/04/20からは、「郵政記念日」と名称が変更になりました。







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